音楽とヒヨコと私

私が好きな音楽の考察とか感想とか(ド素人目線)

La’cryma Christiとわたし

なんか、この2日とか3日ですごくアクセス数が伸びていてびっくりしているところです。
つらいつらいはまだまだで、寝る前にラクリマの曲を聴いては涙を流し、次の日には目が腫れてとんでもない顔になってるのが毎日とかいうめっちゃくちゃなルーティン!

昨日のLEVINちゃんのブログ見て、「逆に皆さんの方が心配なくらいです」なんて書かせてしまって、何LEVINちゃんに心配かけさせてるんだ私ィ!!とまあ、Twitterとか普段は気丈でいようとほっぺを叩いては奮い立たせてるところです

でも、寂しいし悲しいのには変わりはないので、ここでは気持ちに素直に。

なんかね、私の事なんだけど、いじめられて、クラスで孤立しちゃって、超絶ひねくれて腐ってた時期にラクリマと出逢って、中坊なんだけどラクリマの全てが好きになって、歌詞は大人目線だからちょっとよく分からなかったけど、でもメロディは好きで、ライブには行きたかったけど、子どもだから何もできなくて。中学高校、大学は本当にLa’cryma Christiと一緒に歩いて人生を支えてもらった。

大学行って、色んな人と付き合うようになって、音楽のジャンルも色々私の中に入ってきてちょっとV系をお休みしてしまったけど、でもたまに聴く程度で。

で、がっつり気分が落ちてる時に辿り着くのはやっぱりLa’cryma Christiで、辛い時はもう聴き込んでた。

それなりに私の心も世界の見方も恋愛観や出会いと別れも、大人になってきている(けど心はいつまでも厨2)ので、メロディで好き!ってなってたものが、歌詞の内容や曲の中で綴られる物語、ストーリーも解るようになってきて、なんて奥深いのかしら!
と。世界が拡がって見えたことで、やっぱりLa’cryma Christi好きだなぁなんて思ってるんです。

中2で祖父や伯父が亡くなったときも、子どもなりにLhasaを聴いて心の中で弔い、大好きな祖母が亡くなった時も、空っぽな身体でもLhasaを聴いて、従兄を自殺で突然亡くしてもショックで立ち直れなくて今でも頭がおかしくなりそうになったり、塞ぎ込んでる時もLhasaを聴いて悲しんだり。
たまにSweet Suicideな気持ちになったりもするけど、(magic theaterのアルバムの曲目もジャケットもそもそも穏やかでないんだけどさ)でもやっぱり救われることの方が多かったので生きていられる感じです。

KOJIくんのこともね、まだまだ49でさ、病気だって絶対治ってまたギターでステージに立って、またラクリマの〇周年再結成ライブ!とかなって欲しいなあ……って思ってたんです。で、一昨日のニュースを知って、それからAliceのYouTubeで病状報告をやっと見て、ショックなのもありました。今でもショックなんです。
私もね、祖母が胃がんのステージ4で見つかって、それからずっと入院生活をしてたんです。延命治療はしませんでした。だって、見つかった時にはもう手遅れだったし、85で身体に負荷をかけてまでしなくても、というので。でも余命宣告を受けてからだいぶ生きている時間は長かったかな。
だから、私も後悔したくないから仕事終わりに必ずお見舞いに行って、土日も欠かさずお見舞いに行って、たくさん話したり、ご飯の介助もしてきて、祖母も全然つらいとか苦しいとか言わなかったんです。(私も十二指腸潰瘍で死にそうになったけど、貧血で頭痛かったり食べても吐いたりしてたので、これは凄いことなんだとひしひしと感じた)
身体が本当に痛くなってきたのか、泣き言を言わなかった祖母が「痛い、つらい」と言い始めたので座薬でモルヒネを入れて、いよいよ最期を見据えたことをしないといけない状態でした。
その頃はもう食事もできず、たまに湿らせた綿で水分をとるくらいで。
で、座薬でのモルヒネだったのでじわじわと効くものなのか、持って1週間くらい、と聞いていたので心の準備をしなくては、と思っていました。
ですが、翌日、意識がなくなり、私が仕事終わりに寄った際にはもう呼吸が絶え絶えでした。
そして、私一人で、祖母の最期を看取ることができました。当時はすごく人間の最期を受け止めるのがつらくてつらくて。

だからね、そういうのも見てきたから、KOJIくんも本当に頑張ったんだね、つらかったね、お疲れさま……って気持ちになるんです。ショックだけど。

なので、今やっとそんな気持ちです。凹んでるけど。

ラクリマの曲はどれも好きなんですけど、KOJIくんが作曲した曲の素敵なところを、次から書いていきたいな。